1945(昭和20)年8月6日原子爆弾投下により、圓隆寺が所在する三川町は一瞬にして焦土と化しました。
当日、圓隆寺本堂には地元の竹屋・袋町小学校の低学年の児童が通っておりました。(当時、小学校の疎開が出来ない低学年児童は本堂にて勉強をしていました。)
原爆の投下により亡くなられた地元住民を供養すると共に、小さい命は無情にも本堂と共に散った小さな命や、家族も亡くなり引き取り手のない子供たちの遺骨を弔い冥福を祈る為、また、幼くして亡くなった全ての子供たちを供養する為のお地蔵様として皆様にお参りいただいております。